戦後の北陸総合大学構想

金沢市に北陸帝国大学設置に関する建議案(『創設資料 壱巻』)

第90回臨時帝国議会衆議院提出 昭和21(1946)年8月10日
提出者 竹田儀一,殿田浩次,江川為信,五坪茂雄,益谷秀次,米山久
賛成者 石黒武茂 他 福井富山選出代議士

 明治19年(1886)文部大臣森有礼は「帝国大学令」を公布。強力な中央集権国家をめざす明治政府は,東京大学を改編し,「国家の須要に応ずる学術技芸を教授しその蘊奥(うんのう)を攻究する」(第1条)帝国大学を設置した。明治30(1897)年に京都にも帝国大学が設置され,「帝国大学」は東京帝国大学と改称する。以後,東北・九州・北海道・大阪・名古屋に7帝国大学,植民地にも京城・台北帝国大学がおかれた。  なお,大正7(1918)年の「大学令」で官立単科大学,公立大学,私立大学が法認されたが,帝国大学は別格であった。

 昭和21(1946)年に既存の7帝国大学は政令により国立総合大学と改称される。構想にあげられている「北陸総合大学」とは,帝国大学型の大学を志向するものと思われる。

 金沢市に旧帝大型の総合大学を設置する運動は,戦後の比較的早い時期に,市民レベルで展開された。
 昭和21(1946)年6月3日,「北陸総合大学設置期成同盟会」の結成会が県庁で挙行された。地元関係者の他,富山・福井各県知事,富山・福井・敦賀各市長が出席。同年8月には,第90回臨時帝国議会に「金沢市に北陸帝国大学を設置に関する建議案」が提出された。この議会では憲法改正草案が提出され,草案の逐条審議,小修正が行われている。北陸帝国大学設置の建議案は「審議にいたらなかった」(『金沢大学十年史』)。

 建議案は,帝国大学が最高の教育研究機関であると共に,「地方開発振興の推進力」であるとし,従来の帝国大学が太平洋側に偏在する弊をあげ,北陸の雄都としての伝統,学都としての基底を考慮し,北陸地方に帝国大学の恩恵をと提案している。
 昭和22(1947)年3月31日の「教育基本法」(同日施行)と,「学校教育法」(翌4月1日施行)の公布で,旧憲法下にありながら(「日本国憲法」は昭和21(1946)年11月3日公布,昭和22(1947)年5月3日施行)新教育体制に入った。
 この後も期成同盟会は文部当局等に折衝・打診を繰り返し,「柴野県知事来沢し,総合大学は文部相と折衝の結果非常に有望で,工専昇格を含めて北陸総合大学設置問題を考えていきたいとの談話発表。」(昭和22(1947)年5月14日)(『創設資料 壱巻』,『金沢大学十年史』)とあり,この時点では富山や福井を含めた国立総合大学設立は一部で有望視されていたようである。昭和22(1947)年8月,第1回国会にも請願書・陳情書が提出されている。
 旧帝大型の国立総合大学設置をめざした運動は,この時期,石川の他,岡山,広島,新潟等でも展開された。


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