北陸総合大学設立準備委員会

 昭和22(1947)年3月31日,「教育基本法」(同日施行),「学校教育法」(翌4月1日施行)の公布により新学制が実施された。学校教育法により学校別の勅令は廃止され,6・3・3・4の単線型の学校制度が採用される。昭和22(1947)年7月には大学基準協会によって大学基準が制定された。

国立北陸総合大学設置(ママ)準備委員会設置要項

 「従来の如く関係官庁への陳情,議会への請願建議による国立大学の誘致は従たる立場となり今後は大学設置基準委員会の審査を受け文部省はこれを認証するという新形式となってきたのである」,「基準に副うた各種施設をなす事が必須の条件となってきた」,「設置期成同盟会は発展的に解消」,「北陸総合大学設立準備委員会を設置」等,新体制への対応の姿勢がうかがえる。同委員会設置は22(1947)年11月4日である。
 委員は,柴野和喜夫石川県知事を委員長に,石川県選出代議士,石川県議会議員,金沢市議会議員,石川県町村長,石川県商工会議所,金沢・小松・七尾市当局,直轄専門学校長,石川県当局,学識経験者で構成される。(「北陸総合大学設立準備委員会機構」『創設資料 壱巻』)

 国立学校設置法の施行=金沢大学の発足に至るまで,大学設置の準備機関は,北陸総合大学設立準備委員会(昭和22(1947)年11月4日〜),北陸大学実施準備委員(昭和23(1948)年5月14日〜),金沢大学実施準備委員会(昭和23(1948)年7月10日〜)と,昭和24(1949)年6月に解散するまでの1年半余の間に3度の改称をする。

北陸総合大学の設置について(手書き)昭和23(1948)年1月(『創設資料 壱巻』)

 金沢に総合大学を設置しようとする運動は,昭和21(1946)年6月に始まった北陸総合大学設置期成同盟会の活動が端緒であるが,当初は「未だ大学創設の目鼻も付かず,実行運動は至って地味なものであった。中央に陳情したり,在京県関係者の援助を懇請したり,地元案をあれこれいぢくっている程度であった。」といわれる。(「金沢大学の誕生」『金沢大学事務通報第1巻第8号』山知外男,昭和25(1950)年9月)
 昭和22(1947)年4月の教育基本法,学校教育法の施行によって「大学創設運動も暗中模索の時代から一縷の光明を見いだしうる段階に立ち至った」。とされる。(同上)北陸総合大学設置運動は福井・富山両県を除いた「石川県限り」のレベルに入る。その後,総合大学の名称は「北陸大学」から「金沢大学」に改称された。
 手書き資料は,『創設資料』の中で特に急進的な書き方をしている。例えば「全国的に眺めて新制度による最初の総合大学をどこかの地におくとしたなら金沢は其の唯一の候補地となるであろう」との記述には,関係者の熱意や意気込みをうかがうことができる。

 そして,この前後に中央の政策レベルでは,高等教育機関の地方移譲問題が表面化する。

 昭和22(1947)年12月4日付『東京新聞』に「官立大学高専の地方移譲,審議を急ぎ近く実現」「旧帝大など十大学は官立に」との見出しで地方移譲構想が報道された。7校の旧帝国大学に北陸・中国・四国の3校の総合大学を加えて,10校を国立総合大学とし,残りの官立高等教育機関を全て地方に移譲するという,CI&Eの提案による構想である。
 この構想では,中国・四国地方に加えて,旧帝国大学に準ずる総合大学が金沢に設置される可能性があったことになる。しかし,各地方の教育委員会の水準が大学維持にまで達しない,地方の政治的利権が絡むと大学の自由と自治が損なわれるおそれがある,等の理由から(教育刷新委員会第五十回総会,昭和22(1947)年12月26日),翌23(1948)年1月末には地方移譲案は立ち消えとなった。

北陸大学設立趣意書(左)

昭和23年1月

北陸総合大学設立要項(右)

 「趣意書」は「新生日本の理想は〜」で始まる。「金沢の地は300年来雄藩の城下として」「高き文化の伝統」を持ち,金沢医科大学を初めとする高等教育機関を有し「学都たる実を備えている」。また旧金沢城址の利用が可能であること,非戦災都市であること,「この地方の特殊な気候風土,未開発の天然資源,独自の民情風俗等」が学術の対象となり得ることを挙げ,「新制度による総合大学建設地」としては最適であるとし,石川県民のみならず隣接県民の等しく切望するところであると結んでいる。

 昭和23(1948)年1月に文部省に提出された「北陸総合大学設立要項」では,金沢美術工芸専門学校(昭和21(1946)年設置)を母体校とした美術学部と,金沢高等師範学校(昭和19(1944)年設置),石川青年師範学校(昭和19(1944)年設置)を母体校とした農学部をを含む8学部編成が提案された。後,「文部省より去る1月17日提出済みの設立要項に関し,同計画の中の学部より美術農の両学部を除いた,医,薬,工,理,法文,教育の6学部編成を以て創設事業を推進するよう指示」があり,以後これに従うことになる。(「経過概要23年3月25日の項」,『創設資料vol.1』)


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