初代学長決定

 初代学長候補として,第一高等学校長・天野貞祐,東京文理科大学長・務台理作に交渉したが,実現していない。
 両者はともに昭和21(1946)年8月発足の教育刷新委員会委員。委員会では,旧制高等学校の存廃について対立している。天野は旧制高等学校の「人文主義的な人格形成教育に強い愛着」を持ち,2年制の「前期大学」を構想し,その教育的特色を残そうとした。一方,務台は,能力さえあれば上の学校に進んでいける,進学するものの権利としての教育の機会均等の立場から旧制高等学校廃止を主張した。この対立は単に教育的対立ではなく,高等学校=帝国大学と師範学校=文理科大学との階級的対立でもあった。天野は,後,文部大臣になる。

 昭和24(1949)年2月25日,文部省から新制大学創設時無責任者・金沢医科大学長石坂伸吉宛,学長候補者の推薦するよう指示があった。各官立校が候補者をあげていたが,3月8日,学長候補推薦について民主的な方法がとられるべしとの要望が,各校教授団から出された。14・15両日金沢医科大学石坂学長から各官立校に,京都大学名誉教授戸田正三(左上写真)を推薦するとの意志表示があり,18日,包括各学校在勤の3級官以上の文部教官及び専任講師369名により直接選挙が行われる。有効投票数301票中207票で学長候補者を戸田正三に決定。(『金沢大学工学部五十年史』)

 4月22日開催の第6回金沢大学創設委員会(昭和24(1949)年4月6日発足,委員長・金沢医科大学長石坂伸吉,各学部2名の委員からなる)での報告によれば,22日石坂医科大学長が知事と会見,席上,学長候補に戸田推薦,学部長候補についても決定した。教官による選挙結果を金沢大学実施準備委員会の人事委員会(石川県知事柴野和喜夫,副知事土井登,金沢市長井村重雄,石川県商工会議所会頭西川外吉,北国毎日新聞社長嵯峨保二,各官立校長で組織)側に承認を求めたとになる。
 この間,人事委員会内部で,第三高等学校長落合太郎を推す柴野県知事との調停があったという。(『金沢大学工学部五十年史』)

 この決定は4月25日文部省に上申される。

戸田正三を学長に推薦 (『創設資料 四巻』)

金沢大学設立事務責任者 医科大学長石坂伸吉発
文部省学校教育局長 日高第四郎宛
金沢大学学長推薦の件
昭和24(1949)年4月23日起案
別紙 研究業績履歴書調書

 5月13日の金沢大学創設委員会第8回委員会メモ(『創設資料四巻 2−1』)には,「大野事務官〜中略〜,戸田正三氏パージの件あり,目下解除近日中なるも開校に間に合わぬ場合事務取扱を置く要あり」とある。戸田の教員適格審査が開学を前に未了であったため,文部省は5月31付で学長事務取扱として鳥山喜一第四高等学校長に発令,しかし6月10日鳥山は解任。同日,暫定的措置として文部次官佐藤日出登がその任を命ぜられる。鳥山はその後富山大学長に就任する。
 このいきさつは,医科大学側の反発によるものだという。(『金沢大学医学部百年史』)

電報 (『創設資料 壱巻』)

昭和24(1949)年9月10日受信
発信 文部省,宛名 事務局長
「戸田正三氏近く学長に発令の予定受け入れ体制を整備されたし」

 学長が決定せぬまま,第1回入学式が昭和24(1949)年7月25日に挙行された。9月1日に授業開始。9月22日になってようやく戸田は学長に発令されるが,この日付は現在も学長の任期に影響している。11月には開学記念式典が行われた。


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