記念写真(西田幾太郎,校長,吉村寅太郎,生徒)

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登録番号 8
タイトル 記念写真(西田幾太郎,校長,吉村寅太郎,生徒)
年代 明治35(1902)頃
出典
提供者 付属図書館提供
 西田幾多郎(1870〜1945)は,明治27(1894)年7月帝国大学文科大学哲学科選科を卒業。翌28(1895)年4月石川県尋常中学校七尾分校教諭となる。
 明治29(1896)年4月第四高等学校講師となり,独語を担当。翌30(1897)年5月第四高等学校を免ぜられ,石川県専門学校・第四高等中学校時代の恩師で山口高等学校長北条時敬の招きで,同校教務嘱託となる(北条は明治27(1894)年山口高等中学校教授,同29(1896)年校長)。
 明治31(1898)年2月,北条は四高第五代校長になり,再びその招きで,明治32(1899)年7月西田は四高教授となる。西田の在職期間中の『第四高等学校一覧』によると,西田の担当した教科は倫理,論理,心理,独語であり,明治34(1901)年と35(1902)年には英語も教えた。

 明治33(1900)年「三々塾」の創設と指導に関わる。明治34(1901)年9月から翌35(1902)年7月まで「時習寮」舎監。この間,明治35(1902)年5月北条は広島高等師範学校へ去り,第六代校長として吉村寅太郎が着任(明治44(1911)年8月まで)。

 写真の1列目中央が吉村校長,左隣が西田。

 四高教授として過ごした10年間のうち終わりの頃は,西田は病気がちであった。明治40(1907)年2月に肋膜炎にかかり,翌年春に再発している。そのため欠勤が多く「吉村校長さんから小言を言われたものだ。」(「四高の思い出」『四高同窓会報第2号』1927,『四高八十年』1967に再録)西田は研究に専念できる環境を得るために上京を望んだ。

 一方,四高での10年間は『善の研究』(明治44(1911)年)の成立の時代であった。明治40(1907)年3月から明治42(1909)年7月まで『哲学雑誌』『精神界』『丁酉倫理講演集』に各章を発表していき,完結をみた。

 明治42(1909)年7月学習院に転じ,翌43(1910)年8月,京都帝国大学文科大学助教授となる。


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